クワイヤブックができるまで



コラム

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クワイヤブックができるまで(この記事)

音楽・芸術にまつわる名言集

 久しぶりのコラムです。

 今回は、中世ルネサンス期にポリフォニーの演奏に使用されたクワイヤブックについてお話ししようと思います。

 クワイヤブックとその特徴については、第14回 記譜法の歴史(その3)に詳しく書きましたので、こちらもご参照いただければと思います。

 簡単に言うと、クワイヤブックで演奏する意義は、

1.旋律を意識して歌う事に意識が向きやすいこと

2.総譜と違って同時に鳴っている音を視覚的に把握しづらいため、必然的に耳を使ってのアンサンブルが身につくこと

3.全員が同じ楽譜を見ることで、音の方向性の一致、一体感が生まれること

です。

 今回のブログでは、現代のわれわれがクワイヤブックで演奏するために、どのような準備が必要なのか、というところを見ていきたいと思います。

題して、

クワイヤブックができるまで

 とは言っても、もちろん一から楽譜を書くわけではありません。

 遺されたオリジナルのクワイヤブックを、現代のわれわれが演奏できるように手を加えるという意味です。

 これがなかなか手間のかかる作業で、演奏会のたびにこんなことやってんのかよ!って突っ込みたくなるくらい大変です。

 でもこの苦労がわかると、そこまでの苦労をするだけの価値(クワイヤブックを使用する演奏上のメリット)があるのかということがお分かり頂けるかと思います。

――・――・――・――・――

その1

写本(できればモダン譜も)を用意する

 今回例として取り上げる曲は、Adam Rener(1482-1520)の聖母ミサよりSanctusです。この曲はイエナクワイヤブックと呼ばれる写本に入っていて、その全てをコチラで閲覧できます。

 最近はどの図書館もオリジナル資料のデジタル化に前向きで、本当にありがたいです。

 該当ページは、PDFのページ数で言うと160ページにあたります。

 Sanctusは見開き(A4×2)3枚ですが、ミサ全体では22枚あります。

 こちらをまずプリントアウトします。


 普通は左上Superius(ソプラノ)、右上Contratenor(アルト)、左下Tenor、右下Bassusですが、この写本は左下にバスがありますね。

 現代のわれわれが演奏に際して必要なことを、この写本にどんどん書き入れていきます。

 これからの作業に、モダン譜があるとなお便利です。これも、イエナクワイヤブックをモダン譜化してくれいている人がその楽譜をネット上に上げてくれています。ありがたやありがたや。コチラから閲覧できます。

 必ずないといけないわけではありませんが、あるととっても便利です。


――・――・――・――・――

その2

練習番号をつける

 これからの作業にもあったほうが便利なので、まず最初に練習番号をつけます。

 まずモダン譜を見ながら、音楽の段落が変わるところ、きりのいいところに練習番号をつけて、


そしてこれをクワイヤブックの方に書き写していきます。スコアだと1つで済みますが、クワイヤブックの場合は、各パートに書き込まなければならないので、練習番号1つにつき4つづつ書き込まなければなりません。


その3

歌詞をつける

 写本そのままでは、歌詞が完全に割り振られていないため、補わなければなりません。

 まずSuperiusパートを拡大してみましょう。


 この写本はかなりちゃんと歌詞がついている方です。でもはじめにSauctusといったあと、そのままuの母音で伸ばすのか?そんなわけないですよね。大体わかるでしょ?ってことで歌詞は省略して逐一書かれていません。

 今度はバスを見てみましょう。


 こうなるともう笑っちゃいますよね。Sanctusと最初に書いてあって、そのあとは二段目に申し訳程度にsanだけ(笑)このままでは演奏が出来ないことが分かります。

どのように歌詞を入れるかは、演奏する私たちが決めなければなりません。

 音型(同じ音型には極力同じ歌詞を振ります)や、グレゴリオ聖歌がもとになっている場合はそれも参考にしながら歌詞を入れていきます。KyrieやSanctus、Agnus deiは、そもそも歌詞が少ないので、歌詞割りいは困難を極めます。曲によってはほとんど創作といってもいいほど、演奏者の判断に多くがゆだねられるのです。


 だいたい音符の真下に歌詞を書けばいいのですが、完全にそうすることはできない場合があるので、スラー状のものを書いて、ここからここまで1音節、ということを表しています。

その4

ムジカフィクタをつける

 この時代の音楽は、基本的には臨時記号を用いていません。しかし書いてあるまま音に出すと、どうしても不自然になってしまう場合があります。当時の演奏家はその場その場で、アンサンブルしながらそのような箇所を半音上げたり下げたりしながら対応していたようです。

 このような楽譜に書かれていないが、半音上げたり下げたりする音のことをムジカフィクタ(偽りの音)といいます。現代のわれわれが演奏する場合には、どこをフィクタにするかを決めなければいけません。

 決める判断基準は主に3つ。

1.mi contra fa(ミ対ファ)

2.fa super la(ラの上のファ)

3.6度から8度、あるいは3度から1度に解決する場合。

1.mi contra fa(ミ対ファ)

 これは増・減音程が同時に鳴ることを避けるためです。ソルミゼーションで、ミとファと呼ばれる音が同時に鳴ると、必ずその2音の関係は、増・減音程になります。この時期の音楽はこの音程を避けます。特に増4度のことはDiabolus in Musica(音楽の悪魔)と名づけられて、忌み嫌われました。


 この例の場合、Contratenor(アルト)のシ♭(これをソルミゼーションではファといいます)と、テノールのミの音が減5度を作っています。そのためテノールに♭をつけて(ミをファにするといいます)それを回避します。

2.fa super la(ラの上のファ)

 これもソルミゼーションの規則で、ドレミファソラの音階から1つ上にはみ出す音、つまりラの1つ上の音はファにする(つまり半音下げる)、というものです。これは先ほどの増音程を避けるという考え方にも通じており、ドレミファソラときた音階のひとつ上の音がラと全音になっている場合(つまりミになっている場合)、音階の下のファの音と減4度の関係になってしまいます。それを避けるために、ラの上の音は半音下げて、ファにするのです。


 この場合、テノールのDの音はソルミゼーションではラと読みます。そのため、その音から1つ上にはみ出た音(E音)はファにします(つまり半音下げます)。

3.6度から8度、あるいは3度から1度に解決する場合

 これはいわゆるカデンツにあたるところで、終止感をもたせるためにつけるフィクタです。例えば、あるパートがミ→レ、別のパートがド→レという進行をする場合、どちらもレに解決しますが、レに対して両方全音の関係である音から進行しています。

 このカデンツの終止感を高めるためには、ミの音を半音下げるか、ドの音を半音上げます。すなわち、どちらかの進行を、半音にするのです。


 この場合は、バスがラ→ソ、Contratenor(アルト)がファ→ソという進行をしていますので、Contratenorのファを半音上げて、この声部の進行を半音にします。

その5欠けているイニシャルを補う(省略しても可)

 さて、ここまでの作業は、現代のわれわれが演奏するのに不可欠な作業でした。ここからは、ほぼ単なる趣味です!(ドヤ顔)

 この写本の場合、各パートの右上が空白になっています。ここには本来、Superius(ソプラノ)は、歌詞の最初の文字が、他のパートにはパート名が飾り文字で書かれるはずでした。これが欠けているのは、演奏には全く影響ありませんが、テンションに影響があります!

 イニシャルがある方がテンションが上がるのです!テンションが上がるという事は演奏のモチベーションが上がります!だからきっと、超間接的に、演奏に影響を与えているのです!(こじつけ)

 というわけで、最近私が趣味にしているカリグラフィーでイニシャルを記入します。カリグラフィーというのは西洋の書道のようなもので、文字を美しく書く技術のことです。これには専用のカリグラフィーペンを用います。


 ペン先が太く平らになっています。太さの違うペン先を、文字の大きさに応じて使い分けます。

 お手本は他の写本から探します。今回はジョスカンのIllibata Dei Virgo nutrixの第2部を手本としました。


 右がお手本、左が私が書いたものです。結構上手でしょ!(自己満足)

 今回はさらに、曲中の他の歌詞もカリグラフィーペンで書きました。


全体像はこちら、これで完成です!


 左から差し込む日差しでおわかりいただけますでしょうか・・・。そう、夜が明けました(笑)

 これを拡大コピーして、本の状態にした厚紙に貼りつければ、あとはリハーサルを待つのみです!

 手順5は別にしても、現代においてクワイヤブックで演奏するという事が、どれだけ苦労を伴う事かお分かりいただけたと思います。前述のとおりこのミサは全部で22ページあります。22ページ分、同じ手順で楽譜を完成させていくのです。

 また、クワイヤブックがそもそも遺されておらず、パートブックしかない場合もあります。その場合はパートブックから、クワイヤブックを作るというところから始めなければなりません。

 この作業については、私の個人ブログの方でも紹介しておりますので、是非ご覧ください。

櫻井元希個人ブログ

カペラ | クワイヤブック作成

カペラ・コントラポント【楽譜の問題】

 曲数や写本の状態にもよりますが、1つの演奏会のプログラム全てこの作業をやっていると、50時間くらいかかるようです。オソロシイデスネ!

 でもクワイヤブックで演奏すると、ほんとに音楽が見違えるほど良くなります。だからこそ、この作業は必ず報われる作業なのです。

 一度クワイヤブックで演奏すると、モダン譜では逆に演奏しづらくなります。歌いにくくてしょうがない!と思うようになります。

 この記事を見て下さった皆様は、もう自分でクワイヤブックが作れますね!

 クワイヤブックでの演奏をどんどん広めていってください!

(櫻井元希)

【次のコラム】

音楽・芸術にまつわる名言集

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