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第59回「シュッツよ、君の名が 死者を死から解き放つ」

 

いよいよ第8回定期演奏会が近づいてまいりました。演奏会プログラムについてお話していこうと思います。


演奏会詳細はこちら→https://www.salicuskammerchor.com/concert


 2020年より継続しております「ハインリヒ・シュッツの音楽」のシリーズもvol.3となりました。今回はシュッツの作曲した葬送にまつわる作品をメインプログラムに、全曲死にまつわる作品を選曲いたしました。


 演奏会タイトル「シュッツよ、君の名が 死者を死から解き放つ」はシュッツの同時代の詩人、パウル・フレミングがシュッツを評して遺した言葉ですが、それほどまでにシュッツは死にまつわる作品を多く作曲しました。30年戦争の只中を生きたシュッツは87歳まで生きましたが、その間彼は本当に多くの身近な人物の死を経験しました。シュッツの創作活動と「死」というテーマは分かちがたく結びついているように思います。


 サリクスは2019年に終了した「J. S. バッハのモテット全曲演奏シリーズ」においても度々このテーマに取り組んできました。それはバッハのモテットの多くが葬儀や追悼式のために作曲されたと考えられているからで、第2回演奏会では今回メインプログラムといたしました、シュッツの「音楽による葬儀」も演奏いたしました。今回は他に、シュッツによる葬送モテットを3曲、また前半プログラムではシュッツ以前の作曲家による「死」にまつわる作品を選曲しています。


演奏曲目


グレゴリオ聖歌 交唱「主に喜び踊りますように」

Gregorian chant Antiphona “Exsultabunt Domino”


ジョスカン・デ・プレ(1450/55?-1521)「神よ、憐れみたまえ」

Josquin des Prez “Miserere mei, deus”


グレゴリオ聖歌 入祭唱「永遠の憩いを」

Gregorian chant Introitus “Requiem aeternam”


ヒエロニムス・フィンダース(1525/1526頃に活躍)「おお、避けられぬ死よ」

Hyeronimus Vinders “O mors inevitabilis”


グレゴリオ聖歌「死の嘆きが私を取り囲み」

Gregorian chant “Circumdederunt me gemitus mortis”


ジャン・リシャフォール(ca.1480 - after1547)死者のためのミサ曲より入祭唱

Jean Richafort “Missa pro defunctis” - Introitus


ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)

Heinrich Schütz

「主よ、今下僕を去らせてください」SWV 432-33

“Herr, nun lässest du deinen Diener” SWV 432-33


「これは確かに真実であり」SWV 277

“Das ist je gewisslich wahr” SWV 277


――休憩――


「私の行いを神に委ねます」

“Ich hab mein Sach Gott heimgestellt” SWV 94


「音楽による葬儀」

“Musikalische Exequien” op. 7 SWV279-281


 以下演奏会曲目の解説、また対訳を掲載いたします。


 当日配布のパンフレットにも同様のものが記載されておりますが、事前にお目通しいただいたほうがより演奏会を楽しむことができるかもしれません。


 

解説


グレゴリオ聖歌 交唱「主に喜び踊りますように」

Gregorian chant Antiphona “Exsultabunt Domino”


 死者の聖務日課、賛課で初めに歌われるのがこの交唱です。交唱は詩編を間に挟んで2回歌われる形式で、この時唱えられる詩編は第50編「神よ、憐れみたまえ」です。21編ある長い詩編のあとには栄唱の代わりに「主よ、彼らに永遠の憩いをお与えください。そして永遠の光で照らしてください。」という死者のミサでも用いられるテキストが付け加えられています。

 交唱のテキスト自体も詩編第50編から第10節がとられています。非常に短くシンプルな第1旋法によるしっとりとした交唱です。



ジョスカン・デ・プレ(1450/55?-1521)「神よ、憐れみたまえ」

Josquin des Prez “Miserere mei, deus”


 ルネサンス期最大の作曲家の一人であるジョスカンも、いくつか死にまつわる作品を書いています。「神よ、憐れみたまえ」はフェラーラ公エルコレの要請で作曲されたと伝えられる作品で、その内容から自身の葬送のために準備させたのではないかと推定されている作品です。

 テノールが詩編の冒頭 "Miserere mei, deus"を、間隔を空けて19回繰り返す定旋律がこのモテットの軸となっています(図1)。詩編唱の朗唱を思わせる同音連打と2度上行下行というミニマルな定旋律ですが、これが初め高いミの音から始まり、次はレから、次はドから、というように下がっていき、第1部の最後ではオクターブ下のミから始まります。第2部では音価を半分にして、今度は下から一つずつ上に上がっていきます。

 朗唱様式の非常にミニマルな定旋律に対し、他の4声は自由なポリフォニーを展開します。特に印象的なのは定旋律とともに現れる下行音形で、この世のものとも思えない美しさはまさに天国的です。


図1



グレゴリオ聖歌 入祭唱「永遠の憩いを」

Gregorian chant Introitus “Requiem aeternam”


 死者のためのミサ固有唱から入祭唱です。古今のあらゆる「レクイエム」に引用されている旋律なので聞き馴染みのある方が多いかと思います。第6旋法に分類されるこのグレゴリオ聖歌には、サリクス、プレッスス、クィリスマ、オリスクスという特殊ネウマが含まれています。今回これらのネウマのうちいくつかを、サリクスでは初めてとなる新解釈で演奏いたします。



ヒエロニムス・フィンダース(1525/1526頃に活躍)「おお、避けられぬ死よ」

Hyeronimus Vinders “O mors inevitabilis”


 フィンダースはジョスカンと同時期に活躍したフランドルの作曲家です。このモテットの他、ジョスカンのスタバト・マーテルに基づくミサを書いており、ジョスカンとの結びつきを感じさせます。ジョスカンの死に捧げられたこの作品は7声で、そのうち5声がジョスカンの肖像画についていたとされる碑文に基づいたテキストを歌い、2声はレクイエムの入祭唱を歌います。



グレゴリオ聖歌「死の嘆きが私を取り囲み」

Gregorian chant “Circumdederunt me gemitus mortis”


 ジョスカンが自作のシャンソン "Nymphes, nappés"(水辺のニンフ)に引用したことで有名なこの聖歌ですが、現在の典礼にはこの旋律は残っていません。

 続くリシャフォールのモテットにおいてもこの旋律は定旋律引用されていますが、今回はこのリシャフォールの写本にある旋律(図2)をグレゴリオ聖歌の様式で演奏いたします。


図2



ジャン・リシャフォール(ca.1480 - after1547)〈死者のためのミサ曲〉より「入祭唱」

Jean Richafort “Missa pro defunctis” - Introitus


 リシャフォールはジョスカンの弟子であった可能性のあるフランドルの作曲家です。彼はジョスカンを悼んで、死者のためのミサ曲を作曲しました。ジョスカンの愛した旋律、“Circumdederunt me gemitus mortis”(死の嘆きが私を取り囲み)を終始定旋律として用い、2声でカノンさせています。さらにレクイエムのグレゴリオ聖歌も引用していますので、二重(Circumdederuntは2声なので三重?)に旋律を引用していることになります。

 また、この曲の写本の一つでは、先唱がバスの声部におかれ、通常のオクターブ下で歌われるようになっています(図3)。今回はこの写本を用い、書かれてあるとおりの音域で演奏いたします。


図3




ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)

Heinrich Schütz

「主よ、今下僕を去らせてください」SWV 432-33

“Herr, nun lässest du deinen Diener” SWV 432-33


 「主よ、今下僕を去らせてください」は、メシアを見るまで死ぬことがないと聖霊に告げられていたシメオンが、幼子イエスを目にした時に喜び歌った歌で、シメオンのカンティクムと呼ばれています。救い主を目にし、喜び安らかにこの世を去るシメオンに重ね合わせ、このテキストで多くの葬送モテットが作られました。

シュッツもこのテキストでいくつかモテットを作曲しています。SWV352aはクリストフ・コルネットの葬送のため、また本公演のメインプログラムの第2部SWV281第3部もこのテキストによっています。

 SWV432-433はザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルグ1世の死に際して作曲された6声のモテット2曲です。シュッツは40年以上仕えた主君のために、同じテキストによるモテットを2曲作曲しました。同じ機会に同じテキストで2曲のモテットを作曲するということは非常に珍しいことですが、この2曲が具体的にどういう機会に演奏されたのかはわかっていません。



「これは確かに真実であり」SWV 277

“Das ist je gewisslich wahr” SWV 277


 1630年にシュッツは同じ地域で活動し、生年も1年違いであった友人の作曲家であるヨーハン・ヘルマン・シャインを失います。87歳まで生きたシュッツに対し、シャインは享年44歳と早逝でした。翌年1631年、シュッツはこの友人を追悼するモテットを出版します。SWV277はそういった経緯で作曲されましたが、これはシュッツが病床を見舞った際に、シャイン自らに依頼された作品であったようです。

 6声の力強くも流麗なこの作品にはシャインに対する敬意が滲んでいるかのようです。



「私の行いを神に委ねます」

“Ich hab mein Sach Gott heimgestellt” SWV 94


 1625年8月15日、妻マグダレーナの姉妹、アンナ・マリア・ヴィルデクが亡くなります。シュッツは彼女のために、"Aria de vitae fugacitate"「はかない生命についてのアリア」と題された本作を作曲します。そしてなんとこのわずか3週間後、9月6日には妻マグダレーナが亡くなってしまいます。二人にとってたった6年間の結婚生活で、シュッツはその後二度と結婚することはありませんでした。

 本作はヨーハン・レオン作の同名コラール18節を全て用いた作品ですが、その旋律が現れるのは最初と最後の節だけで、中間楽章は自由に作曲されています。このことだけとると、J. S. バッハの作曲したコラールカンタータの構造によく似ています。しかしシュッツがこの曲に施した工夫は、中間楽章でコラール旋律を用いないものの、バッソオスティナートによって全曲を統一するというものでした。18の部分は通奏低音は(ほぼ)同一で、同じ旋律を18回繰り返します。その上で2重唱、3重唱、4重唱が繰り広げられます。一貫性と多様性が見事に実現された作品と言えるでしょう。



「音楽による葬儀」

“Musikalische Exequien” op. 7 SWV279-281


 13曲が現存しているシュッツによる葬送作品の中でも群を抜いて大規模な作品が「音楽による葬儀」です。この作品はシュッツが幼い頃を過ごしたケストリッツの領主で、親交の深かったハインリヒ・ポストゥムス・フォン・ロイス公の死に伴い、彼自身の依頼によって作曲されました。ロイス公は1635年12月に亡くなりましたが、その直前にシュッツは母をも亡くしています。ロイス公の死のみならず、母親の死も間接的にこの作品に影響を与えているかもしれません。

 ロイス公は自らの葬儀を周到に準備し、豪華絢爛な棺を用意させ、その表面に聖書からの引用やコラールのテキストを彫り込ませました。「音楽による葬儀」は、この棺に彫られたテキストに基づいて作曲されています。

 全体は3部構成で、第1部は説教前、第2部は説教後、第3部は埋葬時に演奏されました。


第1部 ドイツ葬儀ミサの形式によるコンツェルトSWV 279

 

 タイトルの通り第1部はドイツ語によるミサの形式をとっており、前半はキリエ、後半はグロリアにあたります。前半はまさにキリエそのものですが、グロリアにあたるとされる後半部分は、伝統的な栄光の賛歌の内容から離れ、「死」が永遠の生に到る扉であり、それによって魂が清められることに焦点があてられています。

 キリエ部分もグロリア部分もソロと合唱がそれぞれペアとなり、交互に歌い交わす形式をとっています(図4、図5)が、1カ所だけその法則から外れ「ソロ-ソロ」というペアがあります。それはシンメトリーに配置されたグロリアの中心にあたる箇所で、旧約聖書外典「知恵の書」からの引用部分です。「死は破滅ではなく、平安である」とするこの箇所が内容としてもこのセクションの中心となっています。


図4



図5



第2部 モテット「主よ、あなたさえいてくだされば」SWV 280

 説教後に歌われた第2部は、単にモテットと題されており、第1部グロリア部分の後半の開始部にあたるソロセクションと同じテキスト(詩編73.25-26)をもっています。このテキストは、この日の説教の題目として選ばれていたもので、シュッツはこの、神への信頼に満ちた力強いテキストを、ヴェネツィアでジョヴァンニ・ガブリエリ(1554 or 57?-1612)から身につけたであろう複合唱様式を用いて音楽化しています。


第3部 シメオンのカンティクム「主よ、いまやあなたは僕を去らせてくださいます」SWV 281

 第3部はロイス公の棺を地中に下ろす際、シュッツ自身の指揮により歌われました。テキストは、救い主を見るまで死なないと聖霊から告げられていたシメオンが、ついに救い主を目の当たりにし、感謝をこめて歌った「シメオンのカンティクム」です。このテキストもまた第1部のグロリア部分と深い関係を持っています。第1部後半一つ目のコラール「平安と喜びのうちにわたしは逝きます」は、このシメオンのカンティクムをマルティン・ルターがコラールとして作り変えたものであり、さらには第1部の演奏前にはこのコラールを歌うことが指定されています。

 合唱Iがこのシメオンのカンティクムを歌う中、合唱IIと指定された3人のソリストは、「離れた場所で」(シュッツによる指示)別のテキスト(黙示録と知恵の書の章句)を歌います。この合唱IIは「二人のセラフィムと祝福された魂」という役名が与えられており、バス歌手として歌うこともあったロイス公の魂が、二人のセラフィム(ソプラノI, II)に導かれていく様子を表しています。


(解説:櫻井元希)


 

対訳


グレゴリオ聖歌 交唱「主に喜び踊りますように」

Gregorian chant Antiphona “Exsultabunt Domino”


Exsultabunt Domino ossa humiliata.


Miserere mei, Deus,

secundum magnam misericordiam tuam;

et secundum multitudinem miserationum tuarum,

dele iniquitatem meam.

Amplius lava me ab iniquitate mea,

et a peccato meo munda me.

Quoniam iniquitatem meam ego cognosco,

et peccatum meum contra me est semper.

Tibi soli peccavi, et malum coram te feci;

ut justificeris in sermonibus tuis,

et vincas cum judicaris.

Ecce enim in iniquitatibus conceptus sum,

et in peccatis concepit me mater mea.

Ecce enim veritatem dilexisti;

incerta et occulta sapientiae tuae manifestasti mihi.

Asperges me hyssopo, et mundabor;

lavabis me, et super nivem dealbabor.

Auditui meo dabis gaudium et laetitiam,

et exsultabunt ossa humiliata.

Averte faciem tuam a peccatis meis,

et omnes iniquitates meas dele.

Cor mundum crea in me, Deus,

et spiritum rectum innova in visceribus meis.

Ne projicias me a facie tua,

et spiritum sanctum tuum ne auferas a me.

Redde mihi laetitiam salutaris tui,

et spiritu principali confirma me.

Docebo iniquos vias tuas,

et impii ad te convertentur.

Libera me de sanguinibus, Deus,

Deus salutis meae,

et exsultabit lingua mea justitiam tuam.

Domine, labia mea aperies,

et os meum annuntiabit laudem tuam.

Quoniam si voluisses sacrificium,

dedissem utique;

holocaustis non delectaberis.

Sacrificium Deo spiritus contribulatus;

cor contritum et humiliatum, Deus, non despicies.

Benigne fac, Domine, in bona voluntate tua Sion,

ut aedificentur muri Jerusalem.

Tunc acceptabis sacrificium justitiae,

oblationes et holocausta;

tunc imponent super altare tuum vitulos.


Requiem aeternam dona eis Domine.

Et lux perpetua luceat eis.


卑しい骨が主に喜び踊りますように

詩編50.10

神よ、わたしを憐れんでください、

あなたの大いなる慈悲によって。

あなたの深い憐れみによって、

わたしの不義を消し去ってください。

この不義をよく洗い、

罪を拭ってください。

わたしはこの不義を知り、

罪はいつもここにあります。

あなたにのみ罪を犯し、目の前で悪を行いました。御言葉は正しく、

正義を持って勝利されます。

御覧ください、まさにわたしは不義のうちにみごもられ、母は罪のうちにわたしをみごもりました。

御覧ください、まさにあなたは真実を愛し、

人知れず隠された知恵をわたしに示されました。

ヒソプの枝を振り、清め、洗ってください、そうすれば雪よりも白くなるでしょう。

喜び称える声を聞かせてください、

卑しい骨が主に喜び踊りますように。

わたしの罪にお顔を向けないでください、

そしてこの不義を全て消してください。

神よ、わたしに清い心を創造し、

正しい霊を新たに授けてください。

あなたの前からわたしを投げ捨てず、

聖霊を取り去らないでください。

救いの喜びを取り戻し、

権威ある霊でわたしを強めてください。

罪人たちにあなたの道を説きます、

不敬の者もあなたに立ち返るでしょう。

神よ、わたしを流血からお救いください、

わたしの救いの神よ、

この舌は喜んであなたの正義を歌います。

主よ、この唇を開いてください、

この口はあなたへの賛美を告げます。

もし捧げものを望むのなら、

わたしはそれを捧げたでしょう、

屠られた捧げものをあなたは喜びません。

神への捧げものは砕かれた霊です、

神は卑しくも砕かれた心を蔑みません。

主よ、御心のうちにシオンに厚情をたまわり、

エルサレムの城壁を築いてください。

その時あなたは義なる捧げものも、

屠られた捧げものもお受けになるでしょう。

その時あなたの祭壇には雄牛が捧げられます。

詩編50

主よ、彼らに永遠の憩いをお与えください。

そして永遠の光で照らしてください。



ジョスカン・デ・プレ(1450/55?-1521)「神よ、憐れみたまえ」

Josquin des Prez “Miserere mei, deus”


同上詩編50編



グレゴリオ聖歌 入祭唱「永遠の憩いを」

Gregorian chant Introitus “Requien aeternam”


Requiem aeternam dona eis Domine:

et lux perpetua luceat eis.


Te decet hymnus Deus in Sion

et tibi reddetur votum in Jerusalem:

exaudi orationem meam,

ad te omnis caro veniet.


主よ、彼らに永遠の憩いをお与えください。

そして永遠の光で照らしてください。


神よ、シオンではあなたに賛歌がふさわしく

エルサレムでは誓いが果たされます。

わたしの祈りを聞いてください、

すべての肉なるものはあなたのもとへと行きます。



ヒエロニムス・フィンダース(1525/1526頃に活躍)「おお、避けられぬ死よ」

Hyeronimus Vinders “O mors inevitabilis”


O mors inevitabilis, mors amara, mors crudelis,

Josquin des Prez dum necasti, illum nobis abstulisti

qui suam per harmoniam illustravit ecclesiam.

Propterea tu musice, dic, requiescat in pace.


Cantus firmus:

Requiem aeternam dona ei Domine,

et lux perpetua luceat ei.


おお、避けられぬ死よ、辛い死、酷い死よ、

おまえがジョスカン・デ・プレの命を奪ったとき、

わたし達から、教会を彩った音楽を奪ったのだ。

だから音楽家よ、言え、「彼が平安のうちに憩えますように」と。


定旋律:

主よ、彼に永遠の憩いをお与えください、

そして彼を永遠の光で照らしてください。


グレゴリオ聖歌「死の嘆きがわたしを取り囲み」

Gregorian chant “Circumdederunt me gemitus mortis”


Circumdederunt me gemitus mortis

dolores inferni circumdederunt me.


死の嘆きがわたしを取り囲み

地獄の苦しみがわたしを包囲した。

詩編17,5-6


ジャン・リシャフォール(ca.1480 - after1547)死者のためのミサ曲より入祭唱

Jean Richafort “Missa pro defunctis” - Introitus


Requiem aeternam dona eis Domine:

et lux perpetua luceat eis.

Te decet hymnus Deus in Sion

et tibi reddetur votum in Jerusalem:

exaudi orationem meam,

ad te omnis caro veniet.


Cantus firmus:

Circumdederunt me gemitus mortis

dolores inferni circumdederunt me.


主よ、彼らに永遠の憩いをお与えください。

そして永遠の光で照らしてください。

神よ、シオンではあなたに賛歌がふさわしく

エルサレムでは誓いが果たされます。

わたしの祈りを聞いてください、

すべての肉なるものはあなたのもとへと行きます。


定旋律:

死の嘆きがわたしを取り囲み

地獄の苦しみがわたしを包囲した。

詩編17,5-6




ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)

Heinrich Schütz

「主よ、今下僕を去らせてください」SWV 432-33

“Herr, nun lässest du deinen Diener” SWV 432-33


Herr, nun lässest du deinen Diener

im Frieden fahren, wie du gesagt hast.

Denn meine Augen haben deinen Heiland gesehen,

welchen du bereitet hast für allen Völkern,

ein Licht zu erleuchten die Heiden,

und zum Preis deines Volks Israel.


主よ、今下僕を去らせてください

あなたが仰った通り、平安のうちに。

救い主をこの眼に映したのですから、

あなたがすべての民のために用意した、

異邦人を照らす光、

あなたの民、イスラエルの栄光となるお方を。

ルカ2.29-32


「これは確かに真実であり」SWV 277

“Das ist je gewisslich wahr” SWV 277


Das ist je gewisslich wahr

Und ein teuer wertes Wort,

Daß Christus Jesus kommen ist in die Welt,

Die Sünder selig zu machen,

Unter welchen ich der fürnehmste bin.

Aber darum ist mir Barmherzigkeit widerfahren,

Auf daß an mir fürnehmlich Jesus Christus

erzeigete alle Geduld zum Exempel denen,

die an ihn gläuben sollen zum ewigen Leben.


Gott, dem ewigen Könige,

dem Unvergänglichen

und Unsichtbaren und allein Weisen,

sei Ehre und Preis in Ewigkeit, Amen.


これは確かに真実であり

尊い言葉、

「イエス・キリストが

罪人を清めるためにこの世に来た」

わたしはその罪人の筆頭なのだ。

だがそれによって慈悲がもたらされたのは、

永遠の命をあずかるべき、彼を信じるものに対して、

証としてまずわたしに

あらゆる忍耐を示されるためだ。


永遠の王なる神

不滅であり

不可視の、ただ一人の賢者に

栄光と誉れが永遠にありますように。アーメン。

第1ティモテ1,15-17




「わたしの行いを神に委ねます」

“Ich hab mein Sach Gott heimgestellt” SWV 94


Ich hab mein Sach Gott heimgestellt,

er machs mit mir, wie’s ihm gefällt, soll ich allhier noch länger leben, nicht widerstrebn seim Willen tu ich mich ergebn.


Mein Zeit und Stund ist, wenn Gott will,

ich schreib ihm nicht für Maß noch Ziel, es sind gezählt all Härlein mein, beid groß und klein, fällt keines ohn den Willen sein.


Es ist allhier ein Jammertal,

Angst, Not und Trübsal überall, des Bleibens ist ein kleine Zeit voller Mühseligkeit, und wer's bedenkt, ist immer im Streit.


Was ist der Mensch, ein Erdenkloß,

von Mutterleib kömmt er nackt und bloß,

bringt nichts mit sich auf diese Welt,

kein Gut noch Geld,

nimmt nichts mit sich, wenn er hinfällt.


Es hilft kein Reichtum, Geld noch Gut,

kein Kunst noch Gunst, kein stolzer Mut,

fürm Tod kein Kraut gewachsen ist,

mein frommer Christ,

alles was lebet, sterblich ist.


Heut sind wir frisch, gesund und stark

Bald krank und tot und liegnund liegen im Sarg,

heut blühn wir wie dieRosen rot, bald krank und tot, ist allenthalben Müh und Not.


Man trägt eins nach dem andern hin, wohl aus den Augen, aus dem Sinn, die Welt vergisset unser bald, sei jung oder alt auch unsrer Ehren mannigfalt.


Ach Herr, lehr uns bedenken wohl,

daß wir sind sterblich allzumal,

auch wir allhier kein Bleibens han,

müssen all davon, gelehrt, reich, jung, alt oder schön.


Das macht die Sünd, du treuer Gott, dadurch ist kommn der bittre Tod, der nimmt und frißt all Menschenkind, wie er sie findt, fragt nicht, wes Stands odr Ehrn sie sind.


Ich hab hier wenig guter Tag,

mein täglich Brot ist Müh und Klag, wann mein Gott will, so will ich mit

hinfahrn in Fried,

Sterbn ist Gwinn und schadt mir nicht.


Und ob mich schon mein Sünd anficht, dennoch will ich verzagen nicht, ich weiß, daß mein getreuer Gott für mich in Tod sein liebsten Sohn gegeben hat.


Der selbig mein Herr Jesu Christ

für all mein Sünd gestorben ist

und auferstanden mir zugut,

der Höllen Glut

gelöscht mit seinem teuren Blut.


Dem leb und sterb ich alle Zeit,

von ihm der bittre Tod mich nicht scheidt,

ich leb oder sterb, so bin ich sein,

er ist allein

der einig Trost und Helfer mein.


Das ist mein Trost zu aller Zeit

in allem Kreuz und Traurigkeit,

ich weiß, daß ich am Jüngsten Tag ohn alle Klag werd auferstehn aus meinem Grab.


Mein lieber frommer, gtreuer Gott

all mein Gebein bewahren tut,

da wird nicht eins vom Leibe mein,

sei groß oder klein,

umkommen noch verloren sein.


Mein lieben Gott von Angesicht werd ich anschaun, dran zweifl ich nicht, in ewger Freud und Herrlichkeit, die mir bereit, ihm sei Lob, Preis in Ewigkeit


O Jesu Christe, Gottes Sohn,

der du für uns hast gnug getan,

ach schleuß mich in die Wunden dein,

du bist allein

der einig Trost und Helfer mein.


Amen, mein lieber, frommer Gott,

bescher uns alln ein selgen Tod,

hilf, daß wir mögen allzugleich

bald in dein Reich

kommen und bleiben ewiglich.


わたしの行いを神に委ねます、

神は御心のままにわたしを為してくださいます。

ここでまださらに生きるとしても、

逆らうことなく

御心に身を委ねるのです。


わたしの時どきは神の御心のまま

それをわたしは測りも定めもしない。

髪の毛の一本一本にいたるまで

大きなことも小さなことも、

すべては御心によって為されるのです。


ここは嘆きの谷、

不安、困苦、悲嘆に覆われている、

ここでのひとときはわずかだけれど

苦悩に満ちた人々は

いつも葛藤しています。


人間は土塊

母の胎からこの身一つ裸で生まれ、

この世からなにひとつ持ち去ることはできない、

物も金も、

ここを去るときにはなにも持って行けない。


富も、物も金も役には立たない

技術も後ろ盾も自尊心も、

死につける薬はない

正しきキリストよ、

生きるものはみな死ぬのです。


今日若く健康で強くとも

明日には病んで棺に横たわり、

今日薔薇のように赤く咲こうとも

すぐに病んで死ぬのです、

ここは苦しみと虚しさであふれています。


人が次々に運ばれていく、

見えなくなる、感じられなくなる、

世界はすぐに私たちを忘れます、

老いも若きも

数々の栄光もまた。


ああ主よ、考えるよう諭してください

わたし達がみな死に、

ここにとどまることはなく、

みな去らなければならないということを

学、富、若さ、老い、美しさがあろうとも。


真実の神よ、罪が

むごい死をもたらしました。

全人類を奪い、飲み込む死が

人々の地位や名誉を

気にかけることはありません。


ここでわずかな佳き日を過ごそうとも、

日々嘆きと苦しみを食らって生きるのです。

神が望む時、

わたしは喜んで逝きましょう、

死は褒美であってわたしを傷つけるものではない。


罪がそそのかそうとも、

わたしはひるまない、

真実の神がわたしのために

愛する御子を

死に引き渡したことを知っているのだから。


その主イエス・キリストが

わたしのすべての罪のために死に、

わたしのために復活された

地獄の業火は

その貴い血によって消しとめられた。


生きるときも死ぬときでさえ、

むごい死はわたしを彼から引き離せない、

生きるときも死ぬときもわたしは彼のもの、

彼だけが

慰めであり救い主。


いつでもそれがわたしの慰め、

試練や悲哀のときにあっても。

わたしは知っている、最後の審判の日に

間違いなく

墓からよみがえることを。


愛する真実の神よ、

この四肢を見張ってください、

この肉体からなにかひとつでも

小さな部分でさえ

失われてしまうことがないように。


愛する神を見つめることができると

わたしは疑いません

永遠の喜びと栄光のうちに

彼に

賛美と称賛がとこしえにありますように。


おおイエス・キリスト、神の御子、

わたし達をとりなしてくださった方、

ああその傷の中にわたしを入れてください

あなただけが

わたしの慰め、救い主なのですから。


アーメン、愛する真実の神、

わたし達みなに至福の死をお与えください、

助けてください、

あなたの王国に行き、

いつまでもそこにいられるように。

J. レオン作のコラール"Ich hab mein Sach Gott heimgestellt"

「わたしの行いを神に委ねます」全節




「音楽による葬儀」

“Musikalische Exequien” op. 7 SWV279-281


I. Concert in Form einer teutschen Begräbnis – Missa SWV 279
I. コンツェルト ドイツ葬儀ミサの形式による SWV 279

Intonatio:

Nacket bin ich von Mutterleibe kommen,


Soli TTB:

Nacket werde ich wiederum dahinfahren,

Der Herr hat’s gegeben, der Herr hat’s genommen,

der Name des Herren sei gelobet.


Capella:

Herr Gott, Vater im Himmel, erbarm dich über uns.


Soli SST:

Christus ist mein Leben, Sterben ist mein Gewinn.

Siehe, das ist Gottes Lamm, das der Welt Sünde trägt.


Capella:

Jesu Christe, Gottes Sohn, erbarm dich über uns.


Soli AB:

Leben wir, so leben wir dem Herren,

sterben wir, so sterben wir dem Herren,

darum wir leben oder sterben,

so sind wir des Herren.


Capella:

Herr Gott, Heiliger Geist, erbarm dich über uns.


Intonatio:

Also hat Gott die Welt geliebt,

daß er seinen eingebornen Sohn gab,


Soli SSATTB:

auf daß alle, die an ihn gläuben,

nicht verloren werden,

sondern das ewige Leben haben.


Capella:

Er sprach zu seinem lieben Sohn:

Die Zeit ist hie zu erbarmen,

fahr hin, mein’s Herzens werte Kron,

und sei das Heil der Armen

und hilf ihn’ aus der Sünden Not,

erwürg für sie den bittern Tod

und laß sie mit dir leben.


Soli ST:

Das Blut Jesu Christi, des Sohnes Gottes,

machet uns rein von allen Sünden.


Capella:

Durch ihn ist uns vergeben

die Sünd, geschenkt das Leben.

Im Himmel soll’n wir haben,

O Gott, wie große Gaben.


Soli SB:

Unser Wandel ist im Himmel,

von dannen wir auch warten des Heilandes Jesu Christi,

des Herren, welcher unsern nichtigen Leib verklären wird,

daß er ähnlich werde seinem verklärten Leibe.


Capella:

Es ist allhier ein Jammertal,

Angst, Not und Trübsal überall;

des Bleibens ist ein’ kleine Zeit,

voller Mühseligkeit,

und wer’s bedenkt, ist immer im Streit.


Soli TT:

Wenn eure Sünde gleich blutrot wäre,

soll sie doch schneeweiß werden;

wenn sie gleich ist wie rosinfarb,

soll sie doch wie Wolle werden.


Capella:

Sein Wort, sein Tauf, sein Nachtmahl

dient wider allen Unfall,

der heilge Geist im Glauben,

lehrt uns darauf vertrauen.




Solo A:

Gehe hin, mein Volk,

in eine Kammer und schleuß die Tür nach dir zu ,

verbirge dich einen kleinen Augenblick,

bis der Zorn vorübergehe.


Soli SSB:

Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand,

und keine Qual rühret sie an.

Für den Unverständigen werden sie angesehen,

als stürben sie, und ihr Abschied wird für eine Pein gerechnet,

und ihr Hinfahren für Verderben,

aber sie sind im Frieden.


Solo T:

Herr, wenn ich nur dich habe,

so frage ich nichts nach Himmel und Erden.


Soli ATTB:

Wenn mir gleich Leib und Seele verschmacht’,

so bist du, Gott, allzeit meines Herzens Trost und mein Teil.


Capella:

Er ist das Heil und selig Licht

für die Heiden,

zu erleuchten, die dich kennen nicht,

und zu weiden.

Er ist seines Volks Israel

der Preis, Ehr, Freud’ und Wonne.


Soli BB:

Unser Leben währet siebenzig Jahr,

und wenn’s hoch kömmt, so sind’s achtzig Jahr;

und wenn es köstlich gewesen ist,

so ist es Müh’ und Arbeit gewesen.


Capella:

Ach, wie elend ist unser’ Zeit

allhier auf dieser Erden;

gar bald der Mensch darniederleit,

wir müssen alle sterben,

allhier in diesem Jammertal

ist Müh’ und Arbeit überall,

auch wenn dir’s wohl gelinget.


Solo T:

Ich weiß, daß mein Erlöser lebt, und er wird mich hernach aus der Erden auferwecken, und werde darnach mit dieser meiner Haut umgeben werden,

und werde in meinem Fleisch Gott sehen.


Capella:

Weil du vom Tod erstanden bist,

werd’ ich im Grab nicht bleiben,

mein höchster Trost dein’ Auffahrt ist,

Todsfurcht kannst du vertreiben,

denn wo du bist, da komm’ ich hin,

daß ich stets bei dir leb’ und bin,

drum fahr’ ich hin mit Freuden.


Soli SSATTB:

Herr, ich lasse dich nicht,

du segnest mich denn.


Capella:

Er sprach zu mir: halt dich an mich,

es soll dir itzt gelingen;

ich geb’ mich selber ganz für dich,

da will ich für dich ringen.

Den Tod verschlingt das Leben mein,

mein’ Unschuld trägt die Sünde dein;

da bist du selig worden.


先唱

わたしは裸で母より生まれ、


独唱(TTB)

裸でこの世を去る。

主がそれを与え、主がまたそれを取り去る。

主の御名に賛美。

ヨブ1.21

合唱

主なる神、天の父、わたし達を憐れみたまえ。


独唱(SST)

キリストはわたしの命、死はわたしの褒美。

見よ、これが世の罪を背負った神の小羊だ。

ピリピ1.21、ヨハネ1.29


合唱

イエス・キリスト、神の子よ、わたし達を憐れみたまえ。


独唱(AB)

生きるということは、すなわち主に生きるということ。

死ぬということは、すなわち主に死ぬということ。

それゆえ生きていても死んでいても

わたし達は主のものである。

ローマ14.8

合唱

主なる神、聖霊よ、わたし達を憐れみたまえ。


先唱

神は世を愛されたので、

その独り子をお与えになった。


独唱(SSATTB)

それは彼を信じるすべての人が

命を失うのではなく

永遠の命を得るため。

ヨハネ3.16

合唱

彼はその愛する子に言った

憐れみの時はきた、

行きなさい、わたしの心の貴き冠

貧しき人の救いとなり、

罪の苦しみから助け、

むごい死から救い出し、

あなたとともに生かしなさい。

M. ルター作のコラール “Nun freut euch, lieben Christen g’mein,”

「喜べ、愛するキリスト者の集い」第5節

独唱(ST)

神の子であるイエス・キリストの血が

わたし達のすべての罪を清める。

第1ヨハネ1.7

合唱

彼によってわたし達の罪は許され

生が与えられる。

天においてわたし達は、

おお神よ、どれほど大きな賜物を得るだろう。

L. ヘルムボルト作のコラール “Nun laßt uns Gott, dem Herren,”

「われら今こそ主なる神へ」第6節

独唱(SB)

わたし達の変化は天で起こる

そこで救い主イエス・キリストを待つ、

彼はわたし達のちっぽけな肉体を、

彼の清らかな御体に似るように清める。

ピリピ3.20-21


合唱

ここは嘆きの谷、

不安、困苦、悲嘆に覆われている、

ここでのひとときはわずかだが、

苦悩に満ちた人々は

いつも葛藤している。

J. レオン作のコラール “Ich hab mein Sach Gott heimgestellt,”

「わたしはわたしの事柄を神にゆだねる」第3節

独唱(TT)

彼らの罪が血のように赤くとも、

雪のように白くなるだろう、

それが干しぶどう色であろうとも

羊毛のようになるだろう。

イザヤ1.18

合唱

彼の言葉、洗礼、晩餐は

すべての災厄にあらがう

聖霊は信仰のうちで

それにより頼むよう導いてくれる。

L. ヘルムボルト作のコラール “Nun laßt uns Gott, dem Herren,”

「われら今こそ主なる神へ」第5節

独唱(A)

行きなさい、我が民よ、

部屋に入り、扉を締めなさい、

しばらくの間身を隠していなさい、

怒りが過ぎ去るまで。

イザヤ26.20

独唱(SSB)

正しい魂は神の手のうちにあり、

苦悩に晒されない。

愚か者は、彼らが死した時、

その今わの際は苦痛だと、

世を去ることは破滅だと考えるが、

しかし彼らは平安のうちにある。

知恵3.1-3


独唱(T)

主よ、あなたさえいてくだされば、

天にも地にも何も求めません。


独唱(ATTB)

神よ、わたしの肉体と魂がまさに滅びゆくとき、

あなたはいつもわたしの心の慰め、心の一部なのです。

詩編73.25-26

合唱

彼は異邦人の救い、

至福の光

あなたを知らぬ人も照らし、

養われる。

彼はその民イスラエルの誉れ、

栄光、喜びと至福。

M. ルター作のコラール “Mit Fried und Freud ich fahr dahinin Gotts Wille”

「平安と喜びのうちにわたしは逝きます」第4節

独唱(BB)

わたし達の命が70年続き、

あるいは幸運にも80年続いたとして、

それはかけがえのないものだとしても、

ただ骨折りと苦労であるだろう。

詩編90.10

合唱

ああ、わたし達の時はなんと哀れなのだ、

まさにこの地において、

今しも人は倒れゆく、

わたし達は皆死ぬ定め、

まさにこの涙の谷は

骨折りと苦労に溢れている、

あなたがたとえ今成功していようとも。

J. ギガス作のコラール 第1節


独唱(T)

わたしは知っている、わたしの救い主は生きていると、わたしをいつか地から甦らせてくださると、わたしの皮を着せて下さり、この肉体は神を見るだろう。

ヨブ19.25-26


合唱

あなたが死から甦ったのだから、

わたしは墓に留まらない、

あなたの昇天はわたしの慰め、

死の恐怖をあなたは追放する、

あなたがいるところに、わたしも行く、

そこでわたしはあなたとともに生きて在る、

だからわたしは喜んで逝くのです。

N. ヘルマン作のコラール “Wenn mein Stündlein vorhanden ist”

「わたしの束の間が在りし時」第4節

独唱(SSATTB)

主よ、わたしはあなたを離さない、

あなたがわたしを祝福してくださるまで。

創世記32.26

合唱

彼は言った、わたしにより頼みなさい、

今あなたはそれが出来るだろう。

わたしはあなたに全てを与え、

あなたのために戦おう。

死は生に飲み込まれた、

わたしの無実があなたの罪を担った。

あなたは至福となったのだ。

M. ルター作のコラール “Nun freut euch, lieben Christen g’mein”

「喜べ、愛するキリスト者の集い」第7節


Ⅱ. Motette “Herr, wenn ich nur Dich habe” SWV 280
Ⅱ. モテット「主よ、あなたさえいてくだされば」 SWV 280

Doppelt Choir

Herr, wenn ich nur dich habe,

so frage ich nichts nach Himmel und Erden.

Wenn mir gleich Leib und Seele verschmacht’,

so bist du doch, Gott,

allezeit meines Herzens Trost und mein Teil.


二重合唱

主よ、あなたさえいてくだされば、

天にも地にもわたしは何も求めません。

神よ、わたしの肉体と魂がまさに滅びゆくときであっても、あなたはいつも

わたしの心の慰め、心の一部なのです。

詩編73.25-26


Ⅲ. Canticum B. Simeonis “Herr, nun lässest du deinen Diener” SWV 281
Ⅲ. シメオンのカンティクム 「主よ、あなたの僕を去らせてください」SWV 281

Intonatio:

Herr, nun lässest du deinen Diener


Coro I [SATTB]

in Frieden fahren wie du gesagt hast.

Denn meine Augen haben deinen Heiland gesehen,

welchen du bereitet hast für allen Völkern,

ein Licht zu erleuchten die Heiden,

und zum Preis deines Volks Israel.


Coro II [SSB]:

Selig sind die Toten, die in dem Herren sterben;

sie ruhen von ihrer Arbeit,

und ihre Werke folgen ihnen nach.

Sie sind in der Hand des Herren,

und keine Qual rühret sie.

Selig sind die Toten, die in dem Herren sterben.


先唱

主よ、今下僕を去らせてください


合唱I(SATTB)

あなたが仰った通り、平安のうちに。

救い主をこの眼に映したのですから、

あなたがすべての民のために用意した、

異邦人を照らす光、

あなたの民、イスラエルの栄光となるお方を。

ルカ2.29-32

合唱II(SSB)

主のうちに死す者は幸いだ

彼らはその労苦から解放され、

その働きは報われる。

彼らは主の手のうちにあり、

苦悩に晒されない。

主のうちに死す者は幸いだ

黙示録14.13、知恵3.1


(対訳:櫻井元希)



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