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この団体は、東京芸術大学バッハカンタータクラブのメンバーを中心に結成されました。団体のコンセプトは「J.S.バッハをJ.S.バッハたらしめたものは何なのか」ということです。いかにしてこの世界最高の作曲家がその個性的な音楽世界を確立していったのかということを、過去に遡れるだけ遡って味わっていこうと考えています。
そこでSalicus Kammerchorでは、ヨーロッパ・キリスト教音楽の源泉であるグレゴリオ聖歌をとりあげます。それが時代を経ていかにバッハの音楽の中に現れているのかということを、真面目に演奏に取り入れた演奏団体は今までなかったように思われます。これがこの団体の一番のアイデンティティです。 グレゴリオ聖歌がネウマによって初めて記譜された10世紀頃から、バッハの活動した18世紀まで、約800年の隔たりがある中で、どれだけこの試みに意味があるか疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。そこで、グレゴリオ聖歌を歌う上で重要となる3つの要素から、それがバッハの音楽の中に生きていると考える根拠を示したいと思います。
3つの要素とは、「歌詞」「旋法」「ネウマ」です。
1つ目の「歌詞」についてはほとんど言うまでもないでしょう。聖書の解釈は宗派や時代によって微妙に変化しても、テキストが不変ですから、各人の心の奥底に流れる信仰心は、元をたどればただひとつの源流にたどり着くと考えられます。 2つ目の要素、「旋法」は教会旋法とも呼ばれるもので、聖歌をまとめる際、旋律の傾向などから8つの旋律体系に分類したものです。バッハの時代にはこの旋法に変わって調性という概念が支配的になってきていますが、古いスタイル(モテット様式等)で作曲する際、あるいは旋法的なコラール等を定旋律とする際には、バッハも旋法を用いて作曲しています。このことから、バッハの時代まで「旋法」は廃れておらず、彼が作曲する際のひとつの要素として働いていたということがわかります。 そして3つ目、「ネウマ」です。これがその後の音楽にはない一番重要な要素だと考えています。中世、記譜法が確立される以前には、音楽は口頭伝承で伝わっていました。聖歌隊はテキストだけを見て歌っていましたが、旋律は覚えられても、「この音は少し長くする」とか、「この音はこの音と結びついていてこの音に向かう」など、微妙な歌い方の機微を覚えるのは難しかったものと思われます。テキストの上に、その歌い方を示した記号をメモするようになりました。それが体系的にまとまっていったものが「ネウマ」です。簡単に言えばネウマとは、旋律の中にあるいくつかの音をグループとしてひとまとまりと捉え、その緊張弛緩関係を示したもの、と言えるかと思います。 「ネウマ」は時代と共に、音高を示す4線譜、5線譜と姿を変え、ポリフォニーが発達して音価を正確に記譜するようになって、歌い方のメモであったものが「音の高さと長さ」を表すものとなってしまいました。しかし、「ネウマ」はなくなっても、「ネウマ」が表していた繊細な歌い方そのものは、口頭伝承で受け継がれていたに違いないのです。すなわち、中世において「歌い方」が記譜され、「音の高さと長さ」は口頭伝承であったように、4線譜以後は徐々に、「音の高さと長さ」が記譜され、「歌い方」が口頭伝承された、と考えられるのです。ネウマは消えても、ネウマ的な歌い方は失われなかった。換言するなら、こう言うこともできます。
「ネウマの無い音楽はない」
しかし残念ながら、現代の音楽教育を受けた、特に外国人である私たちはそのことを知りません。口頭伝承されてきたものも時代と共に薄れ、バッハの時代ならいざ知らず、現代の私たちにとってはほとんど馴染みのないものとなってしまいました。ポリフォニーの衰退とともにホモフォニーが隆盛を極め、旋律の緊張弛緩関係は和音の緊張弛緩関係に取って代わられました。そんな時代に生きる私たちがバッハを歌うとき、現代の価値観でバッハを捉えると、本当に味気ないものになってしまいます。これは時間の不可逆性に反しています。バッハは、バッハ以前の音楽から捉えることによってのみ、バッハとしての姿を現すのだと思います。 歌のすべてが詰まっているとすら言える、豊かなグレゴリオ聖歌の世界を体験することで、そこから生まれていったヨーロッパ・キリスト教音楽を、さらに味わい深く感じていただけることでしょう。そうすることで、古いけど、でも新しい歌 “ein neues und altes Lied” として、バッハの音楽をお楽しみいただければと思います。