J. S. バッハ 珍プレー・好プレー

コラム
J. S. バッハ 珍プレー・好プレー(この記事)
コラムの第2弾です。
第1弾ではJ. S. バッハ 名言・迷言集と題しまして、バッハの放った素晴らしい名言、そして辛辣な迷言をお届けしました。
今回は珍プレー・好プレーと題しまして、前半ではバッハの人生につきものだった様々なトラブルにおける珍プレー、後半はそんなバッハを同時代、あるいは後世の人々がバッハをやたらに賛美している様子を(好プレーとして・・・若干苦しいですが)お届けいたします。
J. S. バッハ珍プレー
その1
お兄ちゃんに叱られた!
オールドルフの長兄のもとに身を寄せていた際、兄が大切にしまって、バッハが見ることを許されていなかった楽譜があった。バッハは格子戸の隙間から手を入れて、その楽譜を丸めて引っ張り出し、月明かりの中それを筆写していった。その楽譜集全てを筆写し終えたころ、不幸にも兄に見つかり、取り上げられてしまった。
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その2
せっかくもらった賞金だましとられた!
バッハは、ルイ・マルシャンと同時期にドレスデンを訪れた際、宮廷の要人の要請によって、このフランス人オルガニストと音楽競技で対戦するよう求められた。マルシャンはしりごみし、競技当日にドレスデンを去ってしまった。不戦勝によって国王から賞金を得たバッハであったが、なんと宮廷に仕える使用人によってその賞金をまんまとだまし取られたという。
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その3
休暇を無断延長して叱られた!
バッハがアルンシュタットのオルガニストだったころ、彼は4週間の休暇の許しを得てリューベックへと旅行した。ブクステフーデの演奏に触れるためであったのか、はたまた就職活動のためであったのか、なんと彼は4週間の筈であった休暇を無断で4倍にも延長した。バッハは職務怠慢のかどで聖職会議に呼び出され、叱責された。
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その4
複雑すぎるオルガン演奏で叱られた!
バッハはコラールの演奏において、さまざまな奇妙な変奏を行い、耳慣れない不協和音を用い、会衆を困惑させた、と上記の聖職会議において問い詰められている。また演奏が長すぎると注意を受けると、今度は逆に短すぎる演奏をしたという。
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その5
バッハご乱心!生徒に対し剣を抜く!
喧嘩相手であるガイヤースバッハの弁によると、バッハが自分のことを「下手くそなファゴット吹き」と呼んだという。そのことを別の機会に問い詰められた際、答えに窮したバッハが剣を抜いたのだという。しかしバッハの説明によると、夜遅くガイヤースバッハにこん棒で襲われ、そのために剣で身を守らなければならなかったと言っているので、両者の言い分は食い違っている。
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その6
見知らぬ婦人を教会で歌わせて叱られた!
アルンシュタットの教会当局がバッハを叱責した理由はさらに、「素性の知れない若い女性を聖歌隊席に立ち入らせ、歌わせた」というものもある。その女性はバッハの後の妻、マリア・バルバラであったかもしれない。
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その7