第21回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その3
第2回定期演奏会のプログラムについて
第21回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その3(この記事)
第22回 グレゴリオ聖歌「シメオンはお告げを受けていた」
第23回 J. オケゲム「憐れみたまえ/死よ、お前は傷つけた」
第24回 J. デ・プレ「オケゲムの死を悼む挽歌」
前回、前々回と、シュッツの生涯を2回にわたってみていきましたが、今回はいよいよ本題の「音楽による葬儀」“Musikalische Exequien” op. 7, SWV 279-281についてです。
シュッツの中年期まで
第19回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その1
中年期以降
第20回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その2

前回の記事の中でも述べた通り、この作品は、シュッツが幼いころを過ごしたケストリッツの領主で、親交の深かったハインリヒ・ポストゥムス・フォン・ロイス公の葬儀のために、ロイス公自身の依頼によって作曲されました。
公は1635年12月に亡くなりましたが、葬儀は翌年の2月4日に執り行われました。これは彼が自分の葬儀のテーマとした、シメオン老人が亡くなったのがこの日であったとの伝説に基づいているものと思われます。
彼は自らの葬儀を相当周到に準備し、なんと211枚にわたる葬儀の式次第を用意させました。また自身の入る棺についても非常に詳しい指示を与え、棺の表面に、聖書から取った章句と、コラール(会衆歌)の歌詞をシンメトリックに、また隣り合うテキストとの関係が神学的な意味を持つように彫り込ませました。