第0回 Salicus Kammerchorのコンセプトについて

第2回定期演奏会を終えて、自分たちの演奏や広報のあり方を考えたり、ご来場くださったお客様のご感想等を伺う機会を得ました。その中で、私たちがそもそも掲げているコンセプトについて見直す、というか私たちの思いをもっと正確に皆様に伝える必要があると思い、このような記事を書くに至りました。
「ネウマ的にバッハを歌う」
サリクスがそのプロフィールにも載せている「グレゴリオ聖歌のネウマをバッハに生かす」というコンセプトですが、このところ私はこれがコンセプトと言えるのかどうか自問自答していました。
というのも、サリクスの演奏会に来てくださったお客様が「ネウマとバッハのつながり」ということに余りにも囚われ、こだわりすぎているのではないかと思ったからです。
そういう視点で私たちの演奏を聴いて下さるのはある意味でとても嬉しいことでありながら、同時にちょっと違うな、と思うことがあります。
ほんとうにやりたいこと
私の仕事は「真摯に、謙虚に音楽に向き合うこと」です。
そして(少し抽象的な表現になってしまいますが)音楽に少しでも近づく為にあらゆる努力を惜しまないということが、私に課せられており、そして私はそれを遂行することに無上の喜びを感じています。
「音楽に近づこうとすること」
簡潔に言えば私たちの使命はこれだけです。つまり、コンセプトといえるのは実はこの一点だけで、それは私たちだけでなく、全ての音楽家に共通することです。
そして、サリクスがブログやワークショップや演奏会プログラムを通じて盛んに言っていることは、そのためのヒント、手段でしかありません。
目的ではなく手段の方にスポットライトが強くあたってしまって、何のためにそうするのかということが置き去りにされているような気がして、それが私にとっての違和感でした。
さらに言えば、私たちは「バッハの音楽」ではなく「バッハが近づこうとしたであろう音楽」に近づこうとしなければなりません。
バッハの書いた音楽(それはバッハという人がみた音楽の一側面です)に目を奪われていては、彼が近づこうとした音楽の姿は永遠に見えません。ですから私たちはバッハという音楽史上もっとも音楽に近づいたであろう音楽家の書いた音楽を通して、その先に見え隠れする「音楽そのもの」を目指していかなければならないのです。
バッハの音楽的背景や、バッハへ至るまでにキリスト教音楽が歩んだ道筋をたどるというのは、そのために不可欠なことであるし、それをしないのは、音楽に対して不誠実であると思います。ですが、そのこと自体が目的ではありません。
目的はあくまで、そういったことを手段として用いながら、音楽(バッハの、ではなく、バッハの近づこうとしたであろう音楽)に近づこうとすることです。
音楽に近づこうとすること
近づくこと、ではなく、近づこうとする、としているのは、音楽というものが、近づこうと思って近づけるものではない、と私が思っているからです。
ならばそんなこと徒労でしかないと思われるかもしれませんが、確かにそのとおりかもしれません。私たちは結局一生かかっても、音楽の頂を見上げるばかりで、麓の辺りをうろちょろしているだけなのかもしれません。
でも、はっきりいって人生そんなもんですよね笑
私はそれでいいと思っています。ただ、近づこうとすることを辞めたくないんです。
なんだかこういうことを書いていると、生きている意味とはなんぞやみたいな話に聞こえてくるかもしれません。でもよく似ていますね。
なぜ音楽に近づきたいのか、はなぜ生きたいのか、という問いに似ていますし、なぜ音楽に近づくことを辞めないたくないのか、はなぜ死にたくないのか、に似ています。
馬鹿げてますよね。なぜって答えは明らかだからです。
そんなもんはネー。それが答えです。だからこそ生きるってすごい。
生きていることに理由はないんです。だから人生は美しいんですよね?
「だれひとりそれを見ていなくとも、星の輝きがそれによって減じることはない」
とアリストテレスも言っていますが、星はそれを見ている人間のために輝いているわけではありません。逆に、もしそれが人間のために輝いているのだとしたら、それは果たして美しいでしょうか?
生きることに理由をつけるということは、生きるということを手段にして何かそれ以外のことのために、それを使うということです。生きることを犠牲(手段)にしてまで、得たいナニカってなんですか?そんなもんあるんですか?
生きるということは、何かを達成するための手段になり得ないからこそ、最高に価値があるんです。
私は、「音楽する」ということはこれにとっても近いと思っています。生きることに理由がないのと同じように、音楽することにも理由はないのです。
芸術は、生の再創造だというようなことをよく言ったりしますが、こういう思考の過程をたどると、まさにそのとおりだと思います。
私たちの独自性