第43回 J. S. バッハ「イエス、我が喜び」BWV 227
第4回定期演奏会のプログラムについての記事の5つめです。
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ぜひ本記事と合わせてお読みください!
第39回 第4回定期演奏会選曲コンセプト
第40回 G. P. da パレストリーナ ミサ《シネ・ノミネ》
第41回 "Altbachisches Archiv" 「古いバッハ家の史料集」その1
第42回 "Altbachisches Archiv" 「古いバッハ家の史料集」その2
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 「イエス、我が喜び」 BWV 227
Johann Sebastian Bach “Jesu, meine Freude” BWV 227
*バッハのモテット
バッハが作曲した声楽作品のうち、彼の死後も命脈を保ったのはカンタータでも受難曲でもなく、モテットでした。彼の真作とされるモテットは5-6曲と数は少ないですが、このレパートリーはトーマス教会合唱団のレパートリーとして歌い継がれ、ライプツィヒを訪れたモーツァルトに「ここにこそまだ学ぶものがある」と言わしめました。ヨハン・クリストフの項で述べたモテット集の出版が早くも1802年だったことを考えるといかにバッハの作品の中でモテットが高く評価されていたかが窺い知れます。
バッハの時代、モテットというジャンルは既に時代遅れとされ、礼拝の中での地位をより大規模な器楽付き声楽作品であるカンタータに奪われていました。日曜日ごとに歌われるラテン語のモテットは『フロレギウム・ポルテンセ』という曲集から取られ、バッハ自身がラテン語のモテットを新作することはありませんでした(少なくとも現存する資料の中には1曲もありません)。バッハによるドイツ語モテットが演奏されたのは主に葬儀か追悼式で、これらの機会はバッハとトーマス学校の寄宿生にとって重要な臨時収入の機会となっていたのです。
*モテット「イエス、我が喜び」
モテット「イエス、我が喜び」 BWV 227もまたそのような葬送行事、1723年7月18日に執り行われた中央郵便局長ケース夫人の追悼礼拝のために作曲されたと考えられています。この日の説教に合わせて、おそらくバッハ自身が『ローマ人への手紙』からテキストを選び、コラール「イエス、我が喜び」の全節の間に挿入しました。フィリップ・シュピッタ(初期のバッハの伝記執筆者)はこの構成を評して
「ローマ人への手紙の部分で、バッハは使徒の熱烈な信仰でキリストによる救いの業の意味を説く。歌詞の教義上の内容に即して教会内で一般に抱かれる感情のあり方は、コラールの各節ごとに、キリスト教徒の信仰告白へ直接的に適用される。こうして、この堂々たる作品には、プロテスタント信仰の核心が具現化されるのである」
と述べています。
全8節のコラールの間に7つの聖句が挿入されることによって、歌詞の上でもシンメトリックな構造が作られますが、バッハはこれを音楽化する際、より明確にシンメトリーの構造を打ち出しました。

シンメトリーの中心は第6曲の5声による大規模なフーガです。冒頭と終曲は同一の音楽で、第10曲は第2曲の短縮形です。これらがシンメトリーの大枠をなし、中間部分は「カンツィオナル形式→3声のポリフォニー→コラール変奏」が3曲ずつ組みになったペアが中心の第6曲の前後に配置されています。
このようなシンメトリー構造はバッハの他の作品でも見られ、ロ短調ミサのクレド、ヨハネ受難曲の第2部、カンタータ第4番などがその例として挙げられます。
*各曲について
第1曲 コラール第1節 4声のカンツィオナル形式 ホ短調 4/4
J. フランクのコラール “Jesu, meine Freude”は1656年の歌本によると以下のような旋律ですが、バッハはこれを多少変形して用いました。特に印象的なのは2つ目のフレーズで、単なる順次進行から一度折り返して4度上行に変更させたところでしょうか。この4度上行のモティーフはこのモテットの中で随所に現れます。
