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第51回 教会カンタータに綴られた物語1


昨年Salicus KammerchorはJ. S. バッハのモテット全曲録音を終えましたが、今年からはJ. S. バッハの教会カンタータに取り組みます。


演奏会情報はこちら


教会カンタータについては以前La Musica Collanaとのジョイントコンサートを行った折に記事を書いていますので、こちらを御覧ください。


第25回 「カンタータ」とは

第26回 J. S. バッハの教会カンタータ(その1)

第27回 J. S. バッハの教会カンタータ(その2)

第28回 J. S. バッハの教会カンタータ(その3)

第29回 J. S. バッハの教会カンタータ(その4)


この記事は、「教会カンタータに綴られた物語」と題しましたが、教会カンタータはオペラなどのように、明確なストーリーがあるわけではありません。

礼拝の中で、その日に朗読される福音書について、その内容を注釈するような形でカンタータのテキストは作成されています。福音書に基づいて行われる「説教」と役割が近いことから、教会カンタータは「音楽による説教」と呼ばれることもあります。

背景を知っていればなるほどと頷けることでも、一般の音楽ファンの方にとっては、カンタータってなんだか歌詞がいまいち抽象的でよくわからん、ということも多いのではないでしょうか。


ということで、この記事では今回演奏する教会カンタータを題材として、教会カンタータのテキストが何を言おうとしているのか、できるだけ簡単に紹介していこうと思います。

 

カンタータ第182番「天の王よ、あなたを歓迎します」 BWV 182

Kantate Nr. 182 „Himmelskönig, sei willkommen” BWV 182


このカンタータはたまたま棕櫚の日曜日と受胎告知の祝日が同じ日となった1714年3月25日に初演されました。そのためこのカンタータのテキストは例外的に、この2つの日に読まれる福音書章句に関わっています。

棕櫚の日曜日では、イエスのエルサレム入城、そして受胎告知の祝日ではイエスの誕生に関わる福音書章句が読まれますが、この2つのテーマを重ね合わせ、救い主の到来を喜ぶ内容となっています。


willkommenはつまり「ようこそ!」ということなのですが、イエスの誕生「ようこそ!」、イエスのエルサレムに「ようこそ!」ということで重ね合わせているんですね。


このカンタータは、ようこそ!から始まり(第2曲合唱)、3曲目レチタティーヴォではイエスの言葉として詩編40節が引用されます。ようこそ!に対してイエスが「行きますよ」と答えるわけですね。イエスが地上に遣わされたのは世の救いのため、それが神の愛であるとするのが第4曲アリアです。イエスは自らを捧げて世を救ったんです。それに対し、自分たちは自分の持っているものを全てイエスに捧げましょうというのが第5曲アリア。第6曲アリアでは、棕櫚の日曜日のテーマに沿って、棕櫚の葉が登場します。イエスがエルサレムに入場した際に群衆が棕櫚の葉を振って迎えたというのが棕櫚の日曜日の由来なのですが、棕櫚の葉を振るというのは勝利の凱旋の象徴なのです。

棕櫚の日曜日はイエスの受難の1週間前、受難の先触れとして捉えられています。そこで次に配置されたコラール(7曲目)は受難のコラールです。勝利の象徴でありながら受難の象徴である棕櫚、このダブルミーニングがこのコラールにも現れています。受難=喜び、傷=心のまきば、そしてそれらの逆説的特徴をを両方備えたものとしての薔薇が登場します。

ここでカンタータが終わってもいいんじゃないかなと思うところもあるのですが、やはり「ようこそ!」で始まったこのカンタータ、ポジティブに終わりたかったのでしょうか、終曲合唱(8曲目)ではイエスに付き従ってエルサレムに行こう!という内容で終わっています。


いかがでしたでしょうか。カンタータのテキストがいくらか脈絡のあるものとして捉えてこれたのではないでしょうか。

ちなみに余談ですが、このカンタータは後年受胎告知の祝日に再演されています。この年は棕櫚の日曜日とはかぶっていなかったので、棕櫚の日曜日(受難の先触れ)と関連の深い7曲目はカットされています。教会暦と、福音書朗読、そしてカンタータの歌詞の強い結びつきが感じられます。


次回はBWV103のテキストについて解説したいと思います。

おおまかなお話の流れを予習して、ぜひカンタータ公演にお越しください!(配信もあるよ)

https://www.salicuskammerchor.com/concert


 

BWV182歌詞対訳



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