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第4回 グレゴリオ聖歌からポリフォニーへ


グレゴリオ聖歌→ルネサンスポリフォニー→バッハの声楽曲

第4回 グレゴリオ聖歌からポリフォニーへ(この記事)

 

前回の記事では、グレゴリオ聖歌の歌心、ネウマについて触れました。

 今回はグレゴリオ聖歌から、多声音楽(ポリフォニー)へ、西洋音楽がどのように変遷していったのかを見ていこうと思います。

 音楽史観点から言うならば「単声で歌われていたグレゴリオ聖歌から、自然発生的に平行したり、ドローン(持続低音)を付けたりすることで2声へと発展していった」といった説明から始めるべきなのでしょうが、このたびはこのあたりをすっと飛ばして「ルネサンス期のポリフォニーに、どのようにグレゴリオ聖歌の歌い回しが生きているか」というところに焦点を当てようと思います。

 

グレゴリオ聖歌「サルヴェ・レジーナ」

 まずはこちらをご覧ください。

 有名なグレゴリオ聖歌、「サルヴェ・レジーナSalve Regina」です。

 四角譜の上のザンクトガレン式ネウマは、以下のSG390写本から私が書き写したものです。

 前回の記事をごらんになった方は、なんとなーくどう歌うか想像がつくかもしれません。

 この聖歌をヴォーカル・アンサンブル カペラが歌うとこうなります。

 上にあげた四角譜とは違う部分がありますが(グレゴリオ聖歌にも様々なバリエーションがあるのです)、グレゴリオ聖歌の歌心、味わっていただけたかと思います。

 ヴォーカル・アンサンブル カペラは、花井哲郎氏が1997年に結成した、グレゴリオ聖歌と、ルネサンス・フランドル楽派を主なレパートリーとする団体です。徹底的にオリジナルに即した演奏形態、スタイル、発音、発声を追求しています。動画にある演奏形態も、当時の絵画等を参考に、大きな譜面台を作成し、1枚の楽譜(クワイヤブック)を全員が見ながら歌うというスタイルを再現したものです。

 

ジョスカンのモテット「サルヴェ・レジーナ」

 この聖歌を元に、フランドル・ポリフォニー最大の大家、ジョスカン・デ・プレ(1450/55-1521)がモテットを作曲しました。2014年の全日本合唱連盟のコンクールで、混声合唱の課題曲となった作品ですのでご存知の方も多いかと思います。上の動画のグレゴリオ聖歌はこのジョスカンの定旋律から復元を試みたもので、そのため現在一般に歌われるヴァージョンとは異なっている部分があったのでした。

 この曲もまた、カペラによる演奏がありますので、ご覧ください。

 元の聖歌の旋律を追うことができましたでしょうか?もちろんジョスカンの手によって定旋律は美しく装飾され、パラフレーズ(自由な変奏)されていますが、旋律の輪郭が浮き出るように巧みに処理されていることが分かります。

 

ジョスカンの作曲技法

 グレゴリオ聖歌からポリフォニーへという流れとは直接関係ありませんが、この曲はジョスカンの天才を証明する驚くべき作曲技法によって構築されています。この動画の始めの部分に、実際に演奏に使われた楽譜が映されていますが、これを見ると、パートが2つしかないように見えます。しかし聞こえてくる声部は4声。これはどういうことかというと、2つのパートが同じ楽譜を見ながら、カノンで歌っているのです。左側の楽譜はソプラノとアルト共通の楽譜で、アルトの後に同じ楽譜を見ながらソプラノが歌い出します。同様に、右側の楽譜はテノールとバス共通の楽譜で、バスの後に同じ楽譜を見ながらテノールが歌いだします。

 最初から最後まで、それも1拍遅れの2重カノンです。後から歌うパートは、先に歌いだしたパートの4度上で歌い始めます。これで美しい曲として見事に成立するのですから、本当に想像を絶する驚くべき技法です。

左側、ソプラノとアルトのパートの楽譜(アルトが地図記号の茶畑のような、合流記号"signum congruentiae"に来たところで、ソプラノが歌い始めます)

 

グレゴリオ聖歌とルネサンス・ポリフォニー

 旋律の歌い回しの話に戻ります。旋律の骨格をそのまま用いているのは主に左側のパートですが、右側のパートはそれに対して対旋律を形作りながらも、要所要所で定旋律の断片を歌います。そのため場所によってはグレゴリオ聖歌の旋律を用いた4声のカノンのようにも聞こえます。

 ご覧のとおり小節線もなく、各パートごとにまとまって記譜されている(スコアの形になっていない)ため、必然的にその瞬間瞬間の縦関係は視覚的には把握しづらく、それは耳で判断するほかありません。この楽譜を見て歌うと、自然と自分の旋律をどう歌うかという事に、まずは全精力を傾けることとなります。ポリフォニーが水平方向の音楽だと言われることがあるかと思いますが、それはこの楽譜を見ていただいただけでも一目瞭然だと思います。

 記譜の方法(計量記譜法といいます)も、ネウマから発展してできた四角譜と見た目上それほどの差はないと思います。音域の拡大に伴って4線が5線になり、音の長さを規定するために音符の形が変わり、メンスーラ記号(音部記号のすぐ右のCに棒のついた記号です)がつき、休符がある、というくらいではないでしょうか。

 記譜法の発展から言うと、

ネウマ→四角譜→計量記譜

の関係は、

歌い回し→音の高さ→音の高さと長さ

と、「何を記譜するのか」が変化していったと捉えることが出来ると思います。

 さて、ここで考えなければならないのは、「ネウマによって記されていた歌い回しが、ネウマが書かれなくなると同時に無くなってしまったのか」という事です。私はそうではなかったと思います。

 例えば、西洋風の便座が初めて日本にやって来た時、多くの日本人はその使い方を知りませんでした。そのためステッカーを貼って、使い方を示す必要がありました。

 今ではこのようなステッカーを見かけることはほとんどなくなりましたが、このステッカーがなくなったことで、西洋風便座の使い方は無くなったでしょうか?便器の使い方は書いてなくても、お母さんが教えてくれます。

 ネウマもまた書かれなくなったといって、その歌い回しが無くなったとは言えません。むしろ記すまでもない当然の前提として西洋音楽の根底に流れ続けていたと私は考えています。

 バロック音楽を演奏する上で、楽譜に記されていなかった、当時の音楽家の共通認識としての演奏習慣を加味することは現在の古楽演奏家の間ではある程度当たり前のことされていますが、それと同じことだと思います。

 サリクスでは、このことを体験して頂けるワークショップをだいたい年に2回のペースで開催しています。次回は2018年4月を予定しています。このワークショップにご参加頂けると、ネウマ的な歌いまわしをポリフォニーにどう活きるのかということが実感して頂けると思います。

 また以下の動画では、ネウマをバッハに生かすということを解説しています。こちらもよろしければ参考になさってください!

(櫻井元希)

 

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