第9回 歌い手にとっての音律(その4)「純正調」
歌い手にとっての音律
4回かけて、サリクスが用いるいくつかの音律についてお話しいたしました。
第6回ではピタゴラス音律
第7回ではミーントーン
第8回ではヤング等の不等分音律
第9回では純正調(厳密には音律ではありません)
についてお話しています。
純正調と純正律
なんと4回にわたってしまった音律のお話ですが、これで最後です。
最後は音律とはちょっと異なった概念「純正調」についてです。これと似た概念に「純正律」というものがありますが、こちらは音律といって間違いがないかと思います。
音律というのは、第6回 歌い手にとっての音律 (その1)でも書いた通り、「音楽に使用される音高の相対的関係を音響物理的に規定したもの」(ブリタニカ国際音楽大事典)です。この定義によるとどちらも音律と呼べそうなのですが、やはり音律というと鍵盤の調律法のことをイメージしやすいので、誤解を避けるために純正調を音律と言ってしまわないほうがいいと思います。後に詳述します。
純正律
純正律というのは、ある調を演奏するのに、主要な和音が全て純正に響くように考えられた音律です。つまり、純正律(ハ長調)の場合、
①まず主和音のCEGを純正にとります。
つまりCを0とすると、平均律に比べたときの音程は(単位はセント)、
②次に、今とったGの音から属和音GHDをとります。
これは①でとった、平均律より2セント高いGからとっていますので、それぞれの平均律と比べたときの音程は、それぞれCEGより2セントプラスして
③最後に、Cから下属和音FACをとります。
これはCを基準に低い方にとっていますから、
となります。これを順番に並べると、
このようにハ長調の音階が出来上がります。黒鍵は同様に、DからFisを、FからBをという風にとっていきます。
ハ長調の主要3和音すべてが純正に響いて凄い!と思いますが、お察しの通りこの音律で調律された鍵盤楽器は転調に非常に弱いです。例えばこの鍵盤でニ長調を弾こうとすると、主和音の五度D-Aが680セントとなり、とてもとても狭すぎます。(DはCからとった高いGからさらに5度をとっていて、AはCからとった低いFから更に純正長三度をとっているためです)
純正調
これに対して、「純正調」はどうかというと、ニ長調の場合はDの音を基準に全ての音を純正にとります。つまり移動ドです。ニ長調の場合、以下のように読みます。
鍵盤では一つひとつの音を固定しなければいけませんが、歌であれば調によってフレキシブルに音程を取ることができます。転調するたびにこのように読み替えていけば、すべての調に対応していけるという訳です。先ほどの純正律の音程関係を移動ドに置き換えます。
ただし!ここで一つだけ気を付けなければならないことがあります。それはReの音程です。ReはSoから純正にとっています。ですから、(低いFaに対して純正長3度をとっている)Laとの5度が純正でなくなってしまっているのです。このままでは純正の名が廃る!
というわけで、Reだけ音程を2種類用意せねばなりません。Laを基準に低いReを設定します。Laが平均律に対して-16セントですので、そこから下方向に純正5度をとると、さらに2セント低くなって、低いReは-18セントとなります。平均律に対する低さでいうと一番低いですね。この低いReはRe↓と表記して、Gからとった高いRe、Re↑と区別します。
曲の中でReが出てきたとき、縦の和音をみて同時にSoが鳴っている時はRe↑、Laが鳴っている時はRe↓を採用します。この2種類のReの歌い分けが純正調で歌う際のポイントとなります。
ここまではDoをゼロとしたとき、平均律に対してどれだけ音高の差があるかを見ていきましたが、今度はこの純正調で歌う場合の隣り合う音程の幅について考えてみましょう。以下がそれぞれの音と音の幅を表したものです。(+-は、平均律の半音100セント、全音200セントに比べたものです)
Re↑を使った場合
Re↓を使った場合
こうしてみると、音程の幅が3種類あることがわかります。赤と青が全音、緑が半音でです。半音は1種類(112セント、自然半音といいます)ですが、全音が2種類あります。赤の広い全音(204セント)を大全音、青の狭い全音(182セント)を小全音といいます。順次進行を歌う際に、この2種類の全音を歌いわけることとなります。
とくに注意したいのは、大全音上がる時と、小全音下がるときです。これら二つのケースは非常に音程が下がりやすいので注意が必要です。
純正調の特徴
純正調の特徴は、なんといっても全ての三和音がずーーっと純正にハモり続けているということです。もうとにかくずっと綺麗です。なにしろ長三和音も短三和音もハモってない和音が一個もないのです。
これは裏を返せば、第6回 歌い手にとっての音律 (その1)の際に述べた、ドミナント感が欠如している音律であるとも言えます。ずっと同じように純正なので、純正調の枠内にいる限り和音(の響き)によって緊張感を作ることが出来ないのです(そのため、あえてドミナントの和音の第3音を高めにとってハモらせないようにするという処理をすることもあります。あるいは音程ではなく音色でドミナント感をもたせる場合もあります)。
そしてまた、前回の記事、第8回 歌い手にとっての音律(その3)で述べたような調による響きの差もありません。その点は12平均律と変わりません。12平均律の長三和音が1種類しかないのと同様、純正調の長三和音も1種類しかありません。どの長三和音も全て同じ響きです。
そしてこれらの特徴(音程によるドミナント感の欠如、調による響きの差がない)は、ミーントーンの特徴と一致しています。
純正調とミーントーンとの違いは、純正調では5度がハモっているという事です。ミーントーンは第7回 歌い手にとっての音律(その2)で書いた通り3度を純正にするために5度を犠牲にした音律でした。そしてアカペラで歌う際この5度をハモらせないようにするというのがかなり難しいのです。本能的に5度を純正にとってしまい、音律のつじつまが合わなくなってしまうことがよくあります。その点純正調を用いるとそういう悩みはありません。ずっと本能的に気持ちいいと思える音程を行き来することが出来るのです。
そういう訳で、ミーントーンで作曲されたと考えられる楽曲を演奏する際、サリクス・カンマーコアではこの純正調を採用しています。その当時の作曲家はおそらく純正調を知らなかったので、オーセンティックでないとは思います。ただミーントーンで歌う際のメリット、つまり5度を犠牲にする利点がどのくらいあって、アカペラでミーントーンを歌うリスクがどのくらいあるのか、を考えた結果、純正調を採用することにしました。
ピタゴラス音律の際に、長3度を純正にしないということにはメリットがありました(ドミナント感を持たせるということと、旋律を美しく歌えるということ)。
しかし、鍵盤楽器を伴わずにミーントーンで歌う場合、5度を純正にしないメリットというのがあまりないのではないかと私は考えます(あくまで私の考えです。私には思いつかないのですが、もしご存知の方は是非こっそりお教えください)。それよりは、はるかに生理的に容易な純正調を採用した方が演奏が安定すると考えるのです。
まとめ
という訳で、サリクス・カンマーコアSalicus Kammerchorでは、主として以下の3種類の音律を用います。
ピタゴラス音律
――グレゴリオ聖歌、オケゲム、ジョスカンあたりまでのポリフォニー
純正調
――ミーントーンを想定して書かれたと思われる鍵盤を伴わないポリフォニー
ヤング第2調律法
――鍵盤を伴うバロック期の作品
以上とっても長くなってしまいましたが、私たちの音律に対する考え方をお話しいたしました。細かい例外はありますが、基本的には以上の3つの場合に対して、3つの音律を用いています。
それぞれの音律の特徴を感じながら歌い分けることが、その作品の作り手が想像した音楽に少しでも近づくヒントになると信じて、地道に練習していきますので応援是非よろしくお願いいたします!
(櫻井元希)
【次の記事】
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【次回公演】
Salicus Kammerchorの次回公演は『第3回定期演奏会』です。
4月22日(土)14:00開演
横浜市栄区民文化センター リリスホール
4月27日(木)19:15開演
台東区生涯活動センター ミレニアムホール
曲目
”Lobe, den Herrn alle Heiden” BWV 230
”Der Geist hilft unser Schwachheit auf” BWV 226
他
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【最新動画配信!】
第2回定期演奏会より、Heinrich Schütz “Musikalische Exequien” op. 7 III. Canticum Simeonisを公開中です!
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