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第20回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その2

第2回定期演奏会のプログラムについて

第19回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その1

第20回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その2(この記事)

第21回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その3

第22回 グレゴリオ聖歌「シメオンはお告げを受けていた」

第23回 J. オケゲム「憐れみたまえ/死よ、お前は傷つけた」

第24回 J. デ・プレ「オケゲムの死を悼む挽歌」

 

前回の記事ではシュッツの成年期までを追っていきました。

第19回 H. シュッツ 「音楽による葬儀」 その1

今回は中年期以降のシュッツを見ていきます。

3.中年期

再びヴェネツィアへ

 1618年に30年戦争が始まってから、10年以上ザクセンは参戦していませんでしたが、次第にその影響を受けるようになってしまいます。

 潤沢であった宮廷の財政は圧迫されていき、シュッツが司っていたドレスデンの音楽はその影響をもろに受けていきました。いつもの世も戦争で最も早く、そして深いダメージを与えられるのは芸術です

 経済的困窮と、宮廷や教会での音楽活動の制限による精神的孤独に苛まれたシュッツは、ヨハン・ゲオルグに休暇を申し出、再びヴェネツィアへと旅立ちました。

 当時ヴェネツィアでは、シュッツより18歳年上のC. モンテヴェルディがその革新的な音楽で人々を魅了していました。シュッツはシンフォニエ・サクレ第1集の序文でこの時の印象を次のように語っています。

「書法が過去のものとは驚くほど違っているのが見出された。古い教会旋法は一部捨て去られている。そのいっぽうで、人びとは新しいくすぐるような心地よさでわれわれの耳を楽しませ