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第1回 ネウマに学ぶ~五線譜以外の楽譜に触れること~

 皆さまこんにちは、渡辺研一郎です。

 昨年2017年1月から5月にかけて、全5回の「月刊ネウマ講座」という連載をさせていただきましたが、この度、サリクス・カンマーコアのブログにてそちらの連載を再掲するという運びになりました。

 今月より月2回 (3月は1回) のペースで掲載して参ります記事は、昨年の連載をほぼそのまま踏襲していますが、より分かりやすくという観点から一部言い回し・図表等加筆修正した点があります。タイトルは「5回で学ぶネウマ講座」と改めました。昨年の連載をご覧いただいた方も、改めてお読みいただければ幸いです。

2018年1月 渡辺研一郎

 

第1回 ネウマに学ぶ

~五線譜以外の楽譜に触れること~

◎ネウマとは

 ネウマは「グレゴリオ聖歌のための音符」という認識が一般的かもしれません。ラテン語では “neuma” と書き、中世ヨーロッパでは10世紀の終わり頃から「音符」の意味として使われるようになったようです。語源はギリシャ語の「νεύμα」(「身振り、手振り」などの日本語訳が当てられます)に由来すると言われています。

 必ずしもグレゴリオ聖歌の音符のみが「ネウマ」という訳ではないのですが、ネウマがグレゴリオ聖歌の音符としての役目を担い、長い歴史と共にその伝承に携わってきたことは確かです。

 一口にネウマと言っても時代・地域によって様々なのですが、今回は「ザンクト・ガレン式」と呼ばれるスイスのザンクト・ガレン修道院由来のネウマを中心に扱います。これは、サリクス・カンマーコアが演奏法上の参考として活用している10世紀頃のネウマです。グレゴリオ聖歌に馴染みのある方などは、ネウマと言うと「四角い音符」を想像なさるかもしれませんが、四角い音符に先立つ時代のネウマの一つがザンクト・ガレン式ネウマです。記事の中で単に「ネウマ」と言った場合には、ザンクト・ガレン式ネウマのことと思っていただければ幸いです。

 

◎「五線譜」との差異

 さて、連載初回となる今回は「ネウマに学ぶ」と題しました。今から1000年以上前に用いられていたネウマは、今の私たちに馴染み深い「五線譜」とは様相が異なります。そこで今回は、ネウマが使われている楽譜をまず見ていただいて、細かいことは取りあえず置いておき、五線譜と大きく異なるところに着目しながらそれは私たちに何を思わせるのかを考えたいと思います。

 では、922年から925年頃のザンクト・ガレン修道院で書かれたグレゴリオ聖歌の楽譜を見てみましょう。何が見えるでしょうか。

(出典)『ザンクト・ガレン修道院359写本』、46頁。

 まず、“ALLELUIA” という文字が見えるでしょうか。これは歌詞の「アレルヤ」です。そしてその上に、直線や曲線、点、などの色々な記号が見えるでしょうか。これがネウマです。ネウマは「アレルヤ」という言葉が歌われるときの旋律の動きを図形的に表しているのですが、五線譜とは大きく様相が違いますね。

 例えば音程について言いますと、今の五線譜に当たり前のように書いてある、音程を示すための「五線」がネウマの譜面にはありません。ネウマは正確な音程を語ってはいないのです。その代わり、旋律の「動き」を色々な図形を使いながら語っています。

 リズムについては、ネウマを解読すると、旋律の「緩急」が示されていることが分かってきます。しかし、その緩急は五線譜のように計量的(二分音符は四分音符の2倍の長さ…などと決まっている)というよりも、非計量的に解釈されることが多いです。つまりネウマが示すことは、音程やリズムに関する「五線譜的な正確さ」とは異なります。

 

◎ネウマの役割

 では、音程もリズムもあまりはっきりしないように思われるネウマの役目とは何だったのでしょうか。

 それを考える上で重要になると思われるのはまず、グレゴリオ聖歌がこの10 世紀頃のネウマよりも以前から存在しており、基本的に「口伝」によって習得・伝達されていたと考えられていること。そして、当時楽譜というのは一人一人に配られるものではなく1冊の本としてまとめられ、既に暗記されていた旋律の記憶を補助するものであったと思われることです。

 音程やリズムを含めた聖歌の歌い方は、楽譜から知るというよりも、日々の修道生活の中で口承によって自然に培われたと思われます。したがって、ネウマは旋律の「動き」を示せれば良かったのでしょう。そして時折、例えば聖歌隊の指揮者が旋律の記憶を確かめるためにネウマを見たのかもしれません。指揮者の手の動きを紙に書いたものがネウマであるという説もあります。

 

◎ネウマに学ぶ

 「楽譜から音楽を知る」というよりも「初めに音楽があり、補助的に楽譜がある」という構図がネウマから見えてきます。このことはさらに進んで考えると、「楽譜に書いていないこと」の音楽上の存在を私たちに物語っているようにも思えます。

 ネウマには正確な音程が書いてありません。しかしそれは、書いていない音程を演奏で無視することではないでしょう。音程は口承による「既知」として、書かれる必要が無かったと考えられるからです。